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コード・ブルー2ndシーズンの再放送を見た元救命看護師が思ったこと

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コード・ブルー

今夏いよいよ放映開始予定の映画・コード・ブルー。

昨年の3rdシーズン終了後から楽しみにしていました、元救命センター勤務の看護師Masayan(@masayan382)です。

TVドラマ終了後から映画に備えて復習しようとTSUTAYAに足繁く通っていたのですが、いっこうに2ndシーズンが借りられずに約半年以上経過していました。

なぜかタイミング悪く1巻がいつもレンタル中だったんです。

もう、2ndシーズンは諦めようかと思っていたところ、さっすがフジテレビさん。

1stシーズンから再放送してくれました。

おかげで2ndシーズンをリアルタイム以来に見ることができました。

そして、8年ぶりに見てみるとけっこう忘れてるもんでした。

うちのブログでもTOPクラスの人気を誇るコード・ブルー関連記事。

実は2ndシーズン放送時は私は救命科で働いていなかったので見てみると、救命科で勤務経験を積んだ今、ようやく理解できたこともあり2回目の視聴は実りあるものでした。

なので、自分の備忘録がてら、本当に今さらですがその感想を綴りたいと思います。

興味のある方はぜひ読み進めてください。

では、参りましょう。

コード・ブルー2ndシーズンとは!?

前作、1stシーズンより約2年の時間が流れています。フェローとして入った4人がそれぞれ成長しフェローを卒業できるかどうかといったところになります。

2008年7月3日から9月11日まで1stシーズンが放送。

2009年1月10日に新春SP。

そして、今作2ndシーズンが2010年1月11日から3月22日に放送されました。

指導医だった黒田先生がいなくなり新たに登場した橘先生のキャラに戸惑いながらもさらに成長していくことになるフェローのみなさん。

ヘリNsの冴島さんも相変わらずの大活躍でした。

救命科で働いてから2ndシーズンを見た感想

好評だった前作を掘り下げて、膨らましたってのが2ndシーズンの率直な感想です。

見直してみると今や売れっ子俳優の濱田岳さんや吉田羊さんなど実は出演されてたんだ!と気がつくところもありました。

そして、やはりこのドラマは各キャラクターが見事に個々で描かれキャラが立っているのが特徴ですね。

なので各キャラについての個人的な感想を。

藍沢先生について

やはり前作でも人気だった山下智久さん演じる藍沢先生の生い立ちなんかも膨らませてました。

両親がおらず、お婆ちゃんに育てられたという設定。しかし、そこで実は父親は生きていたということでお母さんが亡くなった謎に迫るくだりがありました。

個人的には3rdシーズンの緋山先生の恋愛パートくらい、いらない話だなと思いましたが、藍沢先生ファンには必要なパートだったらしいです。

妻

再放送でも男前や!

masayan
masayan

あんな男前で髪が長くてムキムキの救命医なんてどこにもおらん。救命医は筋トレする時間があったら絶対寝てるわぁ。

前作よりも場数を踏んだのか、指導医なしでもバンバン救命していく姿はさすがのひとこと。

電車の中で泣いている白石先生の前に立ち、人前にさらされないように黙って壁になる優しさは紳士そのもの。

もう、ぐうの音も出ないくらいの男前のたち振る舞い…ごちそうさまでした。

↑前回の記事になります。

その中で「CPAの患者をお湯で温めながらの開胸心臓マッサージをした」ってことを書いていたのですが、コード・ブルー2ndシーズンの第一話の話でした。

8年ぶりに見て、あれはここでやってたのか~と大興奮してしまいました。忘れてました。ここだったんだなぁ。

前回の記事でも言ってますが、ドラマの中でやってることはわりとリアルです。

藤川先生について

前作の終盤でようやくフライトデビューした藤川先生。

成長速度は藍沢先生レベルに達していなくても彼なりに、いや、普通の医者たちよりも修羅場をくぐり抜け成長していました。ただ、比較対象が悪すぎる印象です。

現場で胸腔Dを入れるも救命できず、「藍沢なら救えたのかな」と自分を責める姿も痛々しく描かれていました。

責任感が強い人や使命感が強い人は自責の念に縛られてしまう。これも救命センターではよく見る光景でした。うん、リアルだ。

私は医者ではなく看護師なので、研修医が泣いている姿なんかを垣間見ることがしばしばありました。

医者も看護師も「もっとやれた。本当は救えたのかもしれない」と自分を攻めながら、患者さんの命を使って学ばせてもらっているということを改めて認識しさせてくれる内容だったと思います。

あとは、忙しすぎて職場に拘束される時間が多く、救命医の出会いの場は職場であり、職場のNsをくどきに入るという「救命あるある」をTVでリアルに表現する形となりました(笑)

別に救命医じゃなくても冴島さんにはちょっかい出したくなる気持ちは「」として非常によくわかりますが…。

まぁ、優しい藤川先生なら許されますかね。「がんばれー」ってTVの前で応援したくなる人物でした。

冴島Nsについて

個人的に非常に大好きなキャラクター。超難関のフライトナースとして2ndシーズンも大活躍でした。片手でDrに機材を渡すために硬いところに押し付けて滅菌袋を開けて介助につく姿はかっこいいの一言。

今作では恋人がALSで無くなってしまうという非常に辛い状況を乗り越えるお姿が痛々しかったです。

人を救うことが使命の救命科で人を救えなかったケースは山程あります。その中で大切な人が無くなったらどれだけ辛くて、立ち直る過程はどんなものなのか。

数あるケースの中の1つとして主要キャラを使って描かれておりました。そんな彼女の過程は次作・3rdシーズンへ繋がっていきます。

白石先生について

前作では同期の緋山先生に「医学書オタク」と言われてしまうほど頭でっかち。行動に反映できず最初のフライトでは上手く立ち振る舞えなかった白石先生。今作では弱点を克服するかのように頭だけでなく、身体を動かす姿が印象的でした。

前作が「防御」であったなら今作は「攻撃」に近いくらいに。救命医として時に厳しい話をするときも、冷静に淡々と対応してしまい、昔は「もっと温かみがあったのに」と言われてしまうほど。

これは「救命あるある」のひとつですかね。人の死に慣れてしまったり、大量出血に出くわすことも日常になったり…。

人としての温かみを犠牲にして手にした「冷静さ」。それを受け入れて乗り越えていくのも必要な過程です。

終盤では不仲になっていた父親と和解できたのも良かったですね。引き続き翔北に勤める事を決断します。それは3rdシーズンの働きに反映されることになります。

白石先生の俗に言う「冷静と情熱のあいだ」で葛藤する部分はこういう殺伐とした現場で働く人がいつかはぶつかる「壁」なんじゃないかと思います。

看護師においてもよくある話。それは自分が救命で働いてよく感じたことでした。

緋山先生について

前作と今作の間で放送されたSPドラマで列車脱線事故の救護作業中に高所から落下し、胸部の打撲による心破裂、心タンポナーデを起こし瀕死の重傷を負ってしまい、フライト回数も含めて同期より遅れをとっていることを非常に気にしていることから始まります。

傷跡を隠すためタートルネックを着ているのも今作のスタイルでしたね。

結果を残すべく、遅れを取り戻すべく、やや焦って仕事に取り組む姿は実際、結果を出そうと焦っている先生によく見られる感じでした。戸田さん、リアルでした。

今作の山場は脳死状態の男の子の延命をDNRを取らず中止した事が問題となりました。実際に訴訟に発展することはなかったものの1か月間の謹慎処分を命じられてしまいます。

これがトラウマとなり患者と接する事に恐怖心を抱くようになってしまうのですが、それをなんとか乗り越え成長する姿が描かれていました。

痛いほど突き刺さった「DNR」

DNR

リアルタイムで見ていた頃。一般病床で働いていた頃、まだまだ新米Nsだったあの頃では「この2ndシーズンが放ったメッセージをちゃんと受け取ることができなかったんだ」ということが再放送を見てわかったことでした。

それは緋山先生が問題になった延命治療の中断についてです。

↑でも触れてますが緋山先生が脳死状態の男の子の延命を中止した際、DNRの書面にサインを貰わずに決行したことが問題になりました。

DNRとは(do not resuscitate)
蘇生措置拒否と訳されるます。死を覚悟した患者ないし家族によって、容態が急変し心停止に至っても心肺蘇生法を行わないで、静かに看取って欲しいという意思表示です。ただし、最近ではDNAR(do not attempt resucitation)蘇生する見込みがない患者に対して、患者本人あるいはその家族などが、蘇生措置を行わないという意思表示をすること。とされるように変わってきています。

話を戻して、普通に考えると緋山先生がしたことはOUTです。普通の病院や救命医がすることではないと思います。

ですが、ありえないことをしてでも伝えたいことがあるならしてもいいと俺は思っています。

それができるのは現実の医療機関ではない医療ドラマです。

救命科の使命は人を救命すること。人命はは何よりも尊いもの。

盲目的にこの大義名分のもと人の命を救うことに全力を尽くしていくのですが、どこまでやるのか…。

これはいつまでもついてまわる問題だと救命科で働いてみて思いました。

もう脳死が確定して、これ以上は望めない。望めないけど、家族は生きてほしいと願う。生きていたってただ心臓が動いているだけ…。

俗に言う、植物状態で生きていることがいいことなのか?医療の現場でこれがベストなのだろうかと悩むことは医療従事者なら1回は思うことではないでしょうか。

作中では訴訟問題にまで発展していきます。結果的には訴訟には至らなかったですがあと一歩のところまで緋山先生は追い込まれていきました。

実は救命の現場では間違ったことをすればすぐ訴訟。こういったことも実際にあるので、そういった面でもよく触れたなぁとコード・ブルーの攻めの姿勢には脱帽です。とても8年前の作品とは思えない。

ドラマとわかっていてもハラハラしながら見てしまいました。設定もさることながら演じる俳優さんたちの臨場感、私は違和感なく見れました。

実際に救命で働いて訴訟問題手前までになった話

裁判

これは私が救命で働いていたときの話。ある日の夜勤のときでした。

三次救急で搬送されてきた患者さんは心肺停止状態でした。もう心拍再開の可能性は厳しいということで先生がご家族へ厳しい話をしてきました。

しかし、それでも家族は「できることはなんでもやってほしい。どうせ既に心臓が止まっているんだから救える可能性があることは全てやってほしい」とのことでした。

すごく険しい顔で初療室へ帰ってきた先生が「だめもとでやろう。家族が望んでいる。」と覚悟を決めました。

先生がそう決めたのならと、そのときのメンバー全員、研修医も、Nsも一丸となって努めました。

奇跡的に心拍は再開したものの、出血も止まらず、ショックバイタルは離脱できそうにもありませんでした。そこでその救命医は普段の用途では使わない機材をその場で加工し、出血してくる血を体内へ戻そうと離れ技を行いました。

こんなん漫画やドラマでしかやらないんじゃないかと尋ねると「全力を尽くすと決めたから。やれることはやる。」と。

先生の断固たる決意が伝わってきました。

しかし、スタッフのがんばりは結果には繋がらず、結果的には患者さんは一度心拍が再開するもののすぐに再度心停止となり亡くなってしまいました。

しかし、これで話は終わらず。家族は全力を尽くした先生を訴えると言ってきました。

先生も私も胸ぐらを捕まれ「人殺し!てめーらそれでも医者かよ!ここは病院だろ?役立たず!おまえらが死ね!」と言われてしまいました。

救命センターに搬送されてきた時点で心肺停止状態であったことや処置の内容、経過時間などいろいろな状況等などの説明もありなんとか訴訟にはならなかったです。

ですが、警察が入ったり、病院運営のお偉いさんから私の記録を何回も根掘り葉掘り聴取されたり、「あの処置をするときなんで先生を止めなかったんだ?」などなど言われたりと数ヶ月に及び、やんやされました。

看護師の私ですらそんな扱いだったのであのときの先生はもっとあれこれされた様子でした。

すごく、すごく先生が気の毒で仕方なかったです。

ドラマの中の、現場にはいなかったスーツを来た奴が、現場の緊迫感もしらなさそうな奴が面談室や会議室でピーチクパーチク言ってくるシーンは妙にリアルだなぁと。リアル過ぎて当時を思い出して少し辛かったです。

患者や家族が怖い問題

問題が起きてからの「患者が怖い」という緋山先生。痛いほど、すごく気持ちがわかりました。

次は何を言われてしまうんだろう…。人が寝てる時間に寝ないで働いて、他人のために汗水流してまた胸ぐら掴まれて罵られるだけなんじゃないか…。

↑でも触れたように盲目的に人を救うのが救命科。なのに、恐怖心がそれを鈍らせる…。

緋山先生は数話かけて克服されましたが、実際はなかなかに難しかったです。

↑の話であった、うちの先生は数日自宅待機にされましたが、すぐに復帰し仕事を続けてました。心中どうだったのかと思うとあの状況下で毎日人を救っていた先生を私は今でも尊敬しています。

どこの業界もそうだと思いますが、たとえ1万回成功しても1万1回目を失敗するればその1回を責められます。たとえ1万回成功してきた経過があったとしても…。

そうなると、訴訟を恐れて冒険はしない…。そういう人も中には出てくるんじゃないかということが懸念されます。

今見ても、改めて見ても、やっぱりコード・ブルーって攻めた作品だなぁと思ってしまいます。もちろん、戸田さんの恐怖に怯える演技も、そこを乗り越えていく姿もお見事でした。

私は自分が勤めた救命科の事しか知りません。そこでは看護師はどんどん淘汰され、救命科を希望して配属されても耐えきれず辞めていく人が本当に多かったです。

人が当たり前に死んでいく日常。途切れぬ緊張感。ホットライン(救急受け入れ要請)に怯える毎日…。ミスが許されない状況。ミスが出れば主治医、先輩、上司に袋叩きに合うこと…。などなど。

休日返上で参加を強制される勉強会。先輩から強制的に提出を求められるレポート。

当時は身近じゃなかった、今でこそ「ブラック」と呼ばれるような労働環境。

医療現場では「TVドラマになる花形」と言われる現場は、やはり「修羅場」「戦場」と表現した方が的確でした。

こと、うちの職場において研修医の先生たちは2年間かけて全科を回るローテーションシステムです。そこで、研修医間で呼ばれていた救命科で過ごす数週間が始まることを「入所」。救命科での数週間が終了し解き放たれることを出所」と呼んでいました。

masayan
masayan
どんな職場やねん!

壮絶さを表現する素敵な言葉が毎年、ローテーションで回ってくる研修医たちに「伝統の言葉」のようにして引き継がれています。

そして、「自分はそんな労働環境で、患者や家族が怖いと思ってからどうやって仕事を続けてたんだっけ…」そう思って記憶を辿ってみると、緋山先生ほど強烈に患者の家族にその存在を求められたわけではなかったですが、自分がこの場所に必要とされてるんだって思ったときから立ち直るきっかけになりました。

「先輩の説明はわかりやすいです」と言ってくれた後輩。「masayanくんの指摘よかったよ」と褒めてくれた先生。「今日はこのメンバーがいたからこの修羅場のような夜勤を次に渡せたね」とまとめてくれた先輩。

「自分を必要としてれる場所がある」そう感じれるとまた心のあり方がかわりました。

そういった意味でも緋山先生の立ち直るきっかけとか、あの流れも不自然ではなく、ドラマっぽいですけど、むしろナチュラルだったと思います。

おわりに

コード・ブルー

ほんと、今更の話でしたが最後までお付き合いくださりありがとうございます。

前回の3rdシーズンの感想記事ではコード・ブルーは解説がほぼないドラマだから妻はちんぷんかんぷんで補足することがあると書きました。

救命で働く前と後では自分の知識量や経験値でこんなに目線が変わるんだなぁと思ってしまいました。

それだけ作品として奥深い。よくできているんだなと感じました。

「緊張感のある状況でがんばって負傷者を救命する」そんな救命科のドラマなんていくらでもあったと思います。

コード・ブルーはさらに一歩踏み込んで、これ以上医療行為ができない状況の患者さんだったり、人が亡くなってしまってからの残された家族の苦しみや葛藤。そして、そこと向き合う医療従事者の苦悩なんかも描いていました。

このコード・ブルーは数年前の作品でありながら、今見ても目頭が熱くなり、胸が痛くなるほどの名作でした。

この数年後、3rdシーズンが久々に放送されるわけですが2ndシーズンの面白さを引き継ぎ、さらに面白く、リアルに展開していたと思います。

この夏、放映予定の映画版も非常に楽しみです。

私と同様になかなか2ndシーズンが見れなかった方、再放送も見逃してしまったという方は是非、DVDで復習してから映画に備えましょう!

これは何回見ても色褪せない名作です。

 

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