出雲巡りはまだまだ続きます。前回のヤマタノオロチの頭部が眠る八本杉には神社があったそうです。現在では併合されて一社になっているそうです。
せっかくなので立ち寄ることにしました。
こちらが「斐伊神社(ひいじんじゃ)」です。
では、さっそく参りましょう。
斐伊神社とは!?
『出雲国風土記』には2つの樋社が記されているが、その1つが斐伊神社に比定される。もう1社の樋社(同社坐樋速夜比古神社)は八本杉のあたりにあったと考えられているが平安時代中頃には斐伊神社に合殿されていたと考えられている。主祭神は素戔鳴尊、稲田姫命、伊都之尾張命で、合殿された斐伊波夜比古神社の祭神は樋速比古命のほか二神となっている。斐伊神社は江戸時代には所在地の小字をとって「宮崎(埼)大明神」とよばれていた。
「境内掲示板」より
かつては宮崎大明神とも呼ばれていたそうです。そして、もう一つの掲示板にはこのような記載がされていました。
由緒:本社の創立は甚だ古く孝昭天皇5年にご分霊を元官幣大社氷川神社に移したと古史伝に記載してゐる。
出雲風土記の「樋社」で延喜式に「斐伊神社同社坐樋速夜比古神社」とある。天平時代に二社あったのを一社に併合したのであろう。他の一社は今の八本杉にあったと考へられる。「樋社」を斐伊神社と改稱したのはこの郷の名が「樋」といったのを神亀三年民部省の口宣により「斐伊」と改めたことによる。延喜の制国幣小社に列せられ清和天皇貞観13年11月10日神位従五位上を授けられた。 本社は中世より宮崎大明神と稱えられ地方九ヶ村の崇敬厚く明治初年までその総氏神としてあがめら れた。明治4年5月郷社に列せられた。
明治16年馬場替をし、仝40年5月日宮八幡宮稲荷神社を本社境内に移転し、境内末社とした。
昭和56年9月1日島根県神社庁特別神社に指定された。
昭和63年8月25日社務所を改築した。境内掲示「斐伊神社概記」より
とのこと。創立年は不詳。ただし相当古くからあるそうで、埼玉県の氷川神社は孝昭天皇5年に斐伊神社から分祀されたものとしているとか。
私は埼玉県出身なので、「あの大宮にある氷川神社ってここがルーツなん?」と少し驚いてしまいました。
これも何かの縁なのでしょうか。
少し削れてしまっている狛犬さん
二つとも少しお顔が削れてしまっているのが残念ですが、それだけ多くの時間をこの場所で過ごされている証拠ともいえます。
凛々しいというよりかは少し可愛いタイプですかね。
いざ、斐伊神社へ
造りは少しシンプルな感じ。注連縄は太めです。
御祭神は須佐之男尊、稲田比売命、伊都之尾羽張命。
伊都之尾羽張命(いつのおはばりのみこと)とはあまり聞きなれない神様。というのも十拳剣と同体であるそうです。
そうです。須佐之男尊がヤマタノオロチを斬った際に使用した神剣のことです。
ここで祀るならもってこいなのかもしれませんね。
向かって右側に八幡宮
向かって左側に廿原神社・稲荷神社
境内の丘上に鎮座する火守神社があります。
おわりに
古事記では、高天原を追われた須佐之男尊が降り立った場所が「肥河(ひのかわ)」であると記しています。
この「肥河」は「斐伊(ひい)川」のことであるとされています。
つまり、この斐伊川の川上で須佐之男尊はクシナダヒメと出合い、ヤマタノオロチを退治することになります。
すぐ近くにはその伝説を今に伝えるヤマタノオロチの頭部が眠る八本杉があります。
今も生きる日本神話の伝説の地。神話巡りをするなら是非訪れたいスポットです。
合わせて読みたい この「八本杉」の下で神話の怪物ヤマタノオロチの頭は今も眠っている
斐伊神社
所在地:島根県雲南市 木次町里方463番地
駐車場:あり
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