福岡城をあとにして、次に向かったのはあの神社。
聞けば地元の人もあんまり知らないとかどうとか。。。
それがこちら。
光雲神社です!
光雲神社には福岡藩祖・黒田如水と福岡藩初代藩主・長政が祀られています。
この「てるも」という神社の名前は、2人の龍光院殿(如水)、興雲院殿(長政)という法名から一字ずつ取って名付けられたそうです。
ではさっそく参りましょう。
光雲神社(てるもじんじゃ)とは!?
明和6年(1766年)、6代目福岡藩主の黒田継高が、長政を「武威円徳聖照権現」として福岡城二の丸、祈念櫓下に祠を創建し、祀ったのに始まる。 ついで黒田孝高を「水鏡権現」として合祀した。
明治4年(1871年)、廃藩置県により黒田家が東京に移転するにあたって、有志が11代藩主黒田長溥に懇願し、福岡城内の祠堂より小烏吉祥院跡に新たに祠堂を建立した。明治8年(1875年)に県社に列格した。
明治42年(1909年)に現在地の西公園に再移転、遷座した。この地は元々、2代福岡藩主、黒田忠之が建立した荒戸山東照宮(徳川家康を祀る東照宮を分祀したもの。筑前国続風土記に依れば各地の東照宮に劣らぬ壮麗華麗な社殿群であったと伝わる。)があった。
昭和20年(1945年)に福岡大空襲で全焼。社殿や黒田家所縁の文書や刀剣、御宝物などが焼失。昭和41年(1966年)にコンクリート作りで再建された
引用元:Wikipedia「光雲神社」
6代目福岡藩主の黒田継高が長政と勘兵衛を福岡城内で祀ったのが始まりのようですね。
現在の光雲神社があるのが西公園という福岡市の三大花見の名所になるそうです。
いざ、黒田官兵衛・長政を祀る光雲神社へ
なんという石段でしょう。
福岡城の広さを歩き倒した人間の心を砕きかねない無言の圧力。
気合をいれる以外の手段が見当たりません!
見えてくるのが目的地、光雲神社。
しっかり「大軍師・黒田官兵衛」の文字が掲げられています。
素晴らしい石鳥居の迫力です!
黒田長政愛用の水牛の兜像
黒田長政を祀っているゆえんの像ですね。
黒田二十四騎の一人・母里太兵衛の銅像
前回の福岡城でも触れましたが母里太兵衛の銅像です。
もちろん右手には日本三名槍のひとつ、日本号を持っておられます。
光雲神社拝殿・本殿へ
残念ながら焼失してしまったのでコンクリートで再建された社となっています。
当時の面影があるのかはわかりませんが、御祭神を崇敬する気持ちに変わりはありません。
写真を撮る角度を間違えましたね。向かいあう感じで撮れればよかったなぁ。無念。
だいぶ表情が濃いタイプの狛犬さんです。しっぽも迫力があります!
お賽銭箱には黒田家の家紋の藤が描かれています。かっこいいです。
光雲神社ではお賽銭を入れると鶴の鳴き声が聞こえます。
というのも天井には。。。
2羽の鶴がいました。
拝殿の天井画は舞鶴の地名にちなんで、木原信画伯がめでたい丹頂鶴を描いたそうです。
末社末社
荒津神社
御祭神:神武天皇,大物主神,金比羅神
堅磐神社
御祭神:黒田重隆,職隆,忠之,阿津姫
中司孫太郎稲荷神社
裏にまわると中司孫太郎稲荷神社。
なかなかにダイナミック!
光雲神社とは打って変わって雰囲気のあるエリアでした。
おわりに
大河ドラマの影響で黒田官兵衛にどっぷりハマってしまった私。
こうしてゆかりの地に来れるだけでも嬉しいかぎり。
なんならここに参拝しに来るように遠いところから引き寄せてしまっていたのかもしれません。
なかなか埼玉からここの神社を狙ってくることもないでしょう。
ここにこれた何かの縁に感謝です。
なお、こちらの神社では57連勝!無敗の軍師にあやかった勝守もありますので勝負事で不安を感じておられる方は是非チェックしてみてください!
知略の天才が何か策を授けてくださるかもしれませんね。
なお、光雲神社を「こううん神社」と読む「幸運神社」として幸運を授かれる神社としても一部の方々から人気もあるそうです。
ぜひ、一度は参拝してみてください。
光雲神社
所在地 |
〒810-0061 福岡県福岡市中央区西公園13−1
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HP | https://www.city.fukuoka.lg.jp/ |
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