今日ご紹介するのは京都のこちらの神社。この神社名を聞いたことがある方もおられると思います。
【下御霊神社】です。
では、参りましょう。
下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)とは!?
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしている。古来より京都御所の産土神として崇敬された。享保年間に霊元天皇の霊を配祀した。
元は出雲路の上御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったと伝えられる。後に新町出水に移され、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の都市整備にともない現在地に遷座した。引用元:Wikipedia「下御霊神社」
↑とのこと。
上御霊神社の南にあったから下御霊神社。非常にわかりやすいですね。
いざ、下御霊神社へ
まぶしいくらいの朱色の鳥居。
The・神社感がいいですね。
やっぱり神社はこうであってほしいものです。
めちゃめちゃカッコイイ神門です。
迫力満点!
立派な舞殿です。
とっても凛々しい狛犬さまです。
拝殿・本殿
御祭神
吉備聖霊(吉備真備とされることも多いが、吉備真備は憤死した人ではないので、神社側は六座の神霊の和魂と解釈している)
崇道天皇(桓武天皇の皇太子、早良親王)
伊予親王(桓武天皇の皇子)
藤原大夫人(伊予親王の母、藤原吉子)
藤大夫(藤原広嗣)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文屋宮田麻呂)
火雷天神(菅原道真とされることも多いが、神社の創建は道真が天神とされるよりも以前なので、神社側は六座の神霊の荒魂と解釈している)
相殿に天中柱皇神・霊元天皇を祀る。引用元:Wikipedia「下御霊神社」
社伝によると、大同二年(809)、不運の内に亡くなった伊予親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子の霊を慰めるため承和六年(八三九)に仁明天皇によって創建されたそうです。
祭神は、後に崇道天皇(早良親王)、吉備真備(きびのまきび)、 藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)、文屋宮田麿(ぶんや のみやたまろ)、火雷天神(からいてんじん)を加えて八所御霊としています。
1791年(寛政3年) 仮皇居の内侍所を移築し、本殿としたそうです。
どうりで立派な造りなわけです。納得。
↑天満宮
↑牛さんが可愛いです。
やっぱり京都は天満宮が多いですね。
他にも摂社はあるのですが写真に撮り忘れてしまったので今回はここまで。
次回行ったときにちゃんと撮ります。
下御霊神社
所在地:京都府京都市上京区新烏丸通丸太町下る信富町324
電話:075-231-3530
駐車場:なし
HP:http://shimogoryo.main.jp/
コメント