わりと身内からあれこれと相談を受けることもある看護師のmasayan(@masayan382)です。
うちの職場においてよく耳にする言葉が「○○さんの言うことは信用できない。」とか「やっぱ✕✕さんは信頼できる」といった「信用」や「信頼」といったこと。
まぁ、患者さんも、医者も同僚の看護師も、他の薬剤師さんに栄養士さんにと人と接する機会が多い職場なので人の評価がついて回る職場とも言えるからですかね。
また、女性の職場特有ともいえるのが噂話しの速さ。それは光の速さに負けないくらいの速さで人の間をすり抜けて行きます。
「この前○○駅で✕✕先生と看護師の△△さんが一緒にいるところを目撃した」とかね。
そういう話が出ると、噂話になることを避けるためプライベートなことは何も言えない。
誰にもいわないって言っておいて他人にいうんだもん。信用できないよ。なんてことも日常茶飯事です。
そして、俺は男だからと開き直って生きていると相談されるのがこんなこと。
先輩、私は誰を信用して誰を信頼したらいいのかわかりません。どうしたらいいのでしょうか?
といった話。これ、1回や2回じゃないんですよね。個人的に相談されるのが。
ちなみにですが、あなたは「信用」と「信頼」はどう違うかって考えたことありますか?
そこの線引きができるともう少しまわりがよく見えて、他人との距離感に反映できるかもしれません。
今日はそんな話をしたいと思います。
「信用」と「信頼」とは!?
ではそれぞれの定義から確認しましょう。
信用
1 確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を信用する」
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。
引用元:コトバンク「信用」
信頼
[名](スル)信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。
引用元:コトバンク「信頼」
ということなんです。似てるようで似てないともいえますか?
「信用」と「信頼」を例えるなら…
銀行に行くとして、自分に「信用」があればお金を貸してくれます。私に返せるという確実な根拠(収入や業績など)があって、それを銀行側へ示せると銀行は私を信用してお金を貸してくれます。
そして、「信頼」とは根拠がないのに信用するということです。
ベタですが、「友人が3万円貸してくれ」って言ってきたときが明確に出るんじゃないでしょうか?
今までもお金を貸してもちゃんと給料日に返してきたことがあったから今回も貸すのか…。
友人のipadを預かり、金を指定日までに返してくれなければこれを質に入れると言うのか…。
返せるめどが立ったときにでも返してくれればいいよと言うのか…。
返ってこないものとして貸すのか…。
そこには目に見えない「信用」と「信頼」の間を見ることができると思います。
過去の実績など、見えるものを信じることを「信用」。
見えない未来を信じることを「信頼」ともいえます。
こう考えると「信用」と「信頼」って似てるようでだいぶ違うように感じます。
冒頭の誰を信用して誰を信頼するのかの話
では、冒頭で出した後輩の誰を信用して誰を信頼するのかの話です。
結論として、「信用できた人の中から「信頼できると思える人」を信頼したらいいんじゃないだろうか。そして、いままでの功績・態度から信用できるかどうかを見定めたらいいんじゃないか」と彼女には伝えました。
誰かれ構わず「信頼」することは難しいです。
世の中それができる人もいるかもしれないですが私にはできないです。
信頼できるのは「信用」できるという証を1度ではなく数回示せた人くらいです。同僚の中で信頼できる人を作りたいのなら信用するに値するかどうかを見極めて、プライベートなことを共有できるようにしていくしかないと思います。
そういう労力を払ってまで信頼できる人を選定したくないならほどよい距離感の人間関係を作っていくしかないと思います。そもそも無理して信頼できる人を作る必要もないですしね。
何より、人は信用できない人間に心を開くことは難しいです。まずは自分から人に信用されるふるまいをしていく必要があると思います。
それを見て、相手も信用されるような行動を取ってくれるかもしれないですし。他人に何かを求めるなら先に自分が与えないとです。
ってことを後輩にはお伝えしました。少しクサい話でアレですが。
いつの時代も「人間関係の悩みは尽きない」と思います。
なんだったら、仏教においても「人生の悩みは人間関係」とも言いますし。
どうしたらいいのか悩むくらいであれば、ある程度ズバっと線引きしてしまうのもひとつの手かもしれません。
もう一度いいますが、本当に、信頼できる人を作る必要があるかどうか。
必要なければ作る必要もなくて、作る必要もなければ悩む必要もないわけです。
うちの職場のように、女性があまりに多いと派閥だの、仲良しグループだの、いじめの対象だのといろいろ女性は大変なようですから、あまりにも八方美人だとそれはそれで問題にもなるんでね。ところかまわず尻尾をふるというのも考えものです。
信頼できるのは数人、信用できるのはもうちょっと多めに。他はフラットに。そんな感じである程度ゆるく捉えるのもありだと思います。
信頼は愛情
信用や信頼に関しての話をしていたので、ついでに私が思うことを。
単刀直入に言うと「信頼する」ことは「愛すること」だと思います。
「愛」という感情なくして、人を信頼することはできないと思うからです。
嫌いな人間を信頼するって難しくないですか?
嫌いな人間でも今までの実績をみると、これくらいの仕事はやってくれるかもしれない程度に信用することができても、信頼に到れるかというと難しいですよね。
ちなみにですが、あなたは親や先生に「あれだけ○○してやったのに信頼を裏切られた」と言われたことありませんか?
私はあります。中学校の先生に言われました。すごくショックでしたね~嫌な思い出です。
裏切られる信頼は、もはや信頼ではないです。
裏切られるのは信用です。
それは「取引」だったんですよ。それは、「あなたがちゃんとやったときだけ、あなたを好きになってあげますよ」ということ。
そんな条件付きの「信頼」は、もはや「信頼」ではなく、「愛情」も含まれていないのです。
私は人を信頼するときには少なからずある一定数の中の人間から選んでいる以上、何かしらの「愛」があると思っています。
愛せない人を信頼するってやっぱり難しいじゃないですか?
あ、ちなみに、ここでの愛はLOVEだけじゃないです。「博愛」とか「友愛」とか「慈愛」とか「恩愛」とか「敬愛」とか。
特別に向ける感情には「愛」がってのってると私は思っています。なので憎んでしまうと「憎愛」なんてことにもなってしまいますが。
話は脱線してしまいましたが、信頼できる人間って選ばれし勇者じゃないですか。なのでその特別な人間には特別な感情がのっていて、そこには少なからず「愛」があると思います。
したがって、裏切られても許せるくらいの「愛情」が寄せられる相手が信頼できる人間なのかな?って思います。
もちろんそこには「愛する」に足りる積み重ねた信用があるからですが。
おわりに
冒頭でも触れた相談してきた後輩の女の子には上記ようにお伝えしました。
そうなんですね。深いですね〜。というか難しいですね~
くらいの軽い感じのリアクションで、俺、こんなに真剣に応えたんだけどなぁ〜といった感じに。ハハハ…。
最近、周りの人間に対して疑心暗鬼になっているとか、どこの人までに心を広げてもいいのかお悩みでしたら少し参考にはなれたでしょうか?
とても難しいところではありますが、「信用」と「信頼」を別物と認識して、考えてみると少し見えるものがあるかもしれません。
そして、何よりあなたも信用という実績を積み重ねないと他人からは信頼されません。
お互いが信頼されるように協力し、ブラッシュアップしていける人間関係を作ることができれば人間としても成長していけますね。
人間関係でお悩みの方はある程度、信用と信頼の線引をして距離感等を定めてみてはいかがでしょうか。
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