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新選組屯所・八木邸!そこは芹沢鴨暗殺現場であり今も刀傷が残る場所

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先日、平清盛ゆかりの地を訪れることに成功したわけですが、もう一つ訪れたいところがあります。

それが、新選組ゆかりの地です。

理数系で育ち歴史に疎かった私ですが、それでも「新選組」の名前だけは知っていました。

なぜなら週刊少年ジャンプで連載されていた「るろうに剣心」が大好きだからです。

今読んでも面白い名作中の名作。そんな名作の中で登場するのが「三番隊組長の斉藤一」さん。

その後、大人になり、歴史が好きになり、大ハマりしたのがこちら。

大河ドラマ「新選組!」です。

現在放送中の大河ドラマ「真田丸」の三谷幸喜監督の作品でもあります。

登場されている俳優さんも両方に出演されている方もいらっしゃまして、それも密かな楽しみだったりもします。

そして今回訪れたのはこちら。

新選組旧屯所・八木邸

「新選組旧屯所・八木邸」です。

八木邸(やぎてい)とは!?

八木邸(やぎてい)は新選組の屯所として使われた、郷士八木家の邸宅。
八木家は但馬国で八木安高により起こった。源頼朝より今の家紋(三つ木瓜)を拝領したと伝っている。
室町時代に京の壬生に移し、江戸の浪士組の宿となる。新選組の屯所としても使われた。

引用元:Wikipedia「八木邸」

壬生浪士組(後に新選組)の屯所だった場所です。

では、八木邸に行く前に、「新選組」についてすこしお話します。

新選組(しんせんぐみ)とは!?

幕末の京都は政治の中心地であり、諸藩から尊王攘夷・倒幕運動の過激派志士が集まり、治安が悪化した。従来から京都の治安維持にあたっていた京都所司代と京都町奉行だけでは防ぎきれないと判断した幕府は、清河八郎による献策で浪士組の結成を企図。
江戸で求人した後、京に移動した。しかし清河の演説でその本意(後述)を知った、近藤勇や芹沢鴨らが反発、京都守護職の会津藩主、松平容保の庇護のもと、新撰組として発足した。
同様の配下の京都見廻組が幕臣(旗本、御家人)で構成された正規組織であったのに対して、新選組は浪士(町人、農民身分を含む)で構成された「会津藩預かり」という非正規組織であった。
隊員数は、前身である壬生浪士組24名から発足し、新選組の最盛時には200名を超えた。任務は、京都で活動する不逞浪士や倒幕志士の捜索・捕縛、担当地域の巡察・警備、反乱の鎮圧などであった。その一方で、商家から強引に資金を提供させたり、隊の規則違反者を次々に粛清するなど内部抗争を繰り返した。
慶応3年(1867年)6月に幕臣に取り立てられる。翌年に戊辰戦争が始まると、旧幕府軍に従い転戦したが、同戦争終戦と共に解散した。

引用元:Wikipedia「新選組」

ざっくり説明するとやはり↑のようになります。

清河八郎から離脱した浪士組のみなさん。近藤勇派と芹沢鴨派でいざこざもありながら、その拠点を八木邸に定めこちらで活動されていました。

そして、「近藤勇」を局長とし、新選組は京都の治安を守る為の警察部隊として活動されます。

その活動が京都守護職の会津藩の目にとまり、会津藩お預かりへ。

そんな新選組を一躍有名にしたのが歴史の教科書にも太字で残る「池田屋事件」です。

過激派浪士が「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去る」という計画を立てていました。

それを察知した近藤らは、木屋町三条の池田屋を襲撃、7人を斬殺、23人を捕縛。新選組の活躍により、京の都が火の海にならずにすんだという話です。

ちなみに、新選組となる以前の壬生浪士たちは身なりの貧しさから、「みぼろ」(壬生浪=みぶろ・みぶろう)と一部の京の人たちに揶揄されていたそうです。

「るろうに剣心」の斉藤一さんのセリフでも「壬生浪」という言葉も出ていました。

いざ、芹沢鴨(せりざわかも)暗殺時の刀傷が残る八木邸へ

新選組旧屯所・八木邸

これが、あの、八木邸。

感動してしまいました。興奮を抑えながら中へ入ります。

残念ながら中は撮影禁止のため写真はここまで。

大河ドラマ「新選組!」でも手に汗握る構成で、序盤の大事件として分厚く描かれていた芹沢鴨暗殺の場面。

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何度も見たため脳内再生は余裕です!

邸内はガイドさんからのわかりやすいい説明を聞きながら邸内を見学することができます。

見どころはもちろん、芹沢鴨暗殺時の刀傷です。

鶴屋

見学終了後は邸宅を出てすぐお隣にあるこちらの「鶴屋」さんで一息。

お茶と菓子

お茶とお菓子をいただけます。

すぐ近くには旧前川邸もあります

旧前川邸

旧前川邸も八木邸と同様に1863年から約2年間、新選組の屯所として使われていました。

内部は、個人宅のため非公開です。一般公開は土日祝に玄関先を開放し新選組や幕末関連のグッズが販売されています。

冒頭の方で池田屋事件について簡単にふれましたが、新選組が古高俊太郎を捕らえ、この家の土蔵で逆さ吊りの拷問にかけ、その自白によって京都大火を未然に防ぐことができました。

その拷問部屋や新選組総長・山南敬助が切腹した部屋も残っているそうです。毎年3月に山南忌の時に公開されています。
ん~、是非とも見てみたいものです。

参考  http://kyu-maekawatei.com/index.php

近藤勇の墨書

新選組の刀傷

グッズ販売以外で見れたのは展示されている写真とかですかね。新選組ファンなら楽しめるかと思います。

何回かこの記事でも出した名作マンガ「るろうに剣心」ですが、豆知識として有名ですがひとつ。

masayan
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作中の神谷薫さんが出稽古に行くところは「前川道場」となっています。作中前半、後半でも何回か登場する前川道場は新選組ファンならピンとくるところです。

元屯所ということもあり、まだこの周囲には新選組ゆかりの地がありますので少し巡って行こうかと思います。

 

 

八木邸

所在地:京都市中京区壬生梛ノ宮町24
電話:075-841-0751(京都鶴屋鶴寿庵)
HP:http://www.mibu-yagike.jp/

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