奈良県を代表する観光地として東大寺や奈良公園があります。
観光や修学旅行でいらした方もおられることでしょう。
私も中学校の修学旅行で奈良を訪れました。
そして、合わせて訪れていただきたいのが「奈良町」です。
奈良町は江戸時代 の末期から明治時代にかけての町家の面影を今に伝える素敵な街並みが魅力の一角です。
そして奈良町の「軒先に吊るされる赤いぬいぐるみ」が目につきます。
今回はそのぬいぐるみの正体である「身代わり猿」・「庚申さま」についてお話します。
それらを語るために訪れるのが奈良町にある「庚申堂」です。
庚申堂(こうじんどう)とは!?
庚申堂(こうじんどう)は、奈良市のならまちの中心にあり、「庚申さん」と呼ばれる。庚申信仰の奈良の拠点であり、青面金剛像を祭祀する祠である。また、青面金剛の使いの猿を型どったお守りは、魔除けとして、町内の家々の軒先に吊るされている。大きいのが大人、小さいのが子供とされ、家族構成に合わせて吊るされている。また、町内から転出した家族の分の猿は、庚申堂に預けられて、転出者と町との精神的な絆を保っている。町内の住民の災いを代わりに受けることから、「身代わり猿」と呼ばれ、また、背中に願い事を書いて吊るせば願いが叶うとされ、「願い猿」とも呼ばれ、岐阜県飛騨地方のさるぼぼが頭を垂れて体を屈曲させたような形状である。
引用元:Wikipedia「庚申堂」
『庚申縁起によれば、文武天皇の御代に疫病が流行して人々が苦しんでいたとき、元興寺の高僧・護命僧正が仏に祈っていると、1月7日に至り、青面金剛が現れ「汝の至誠に感じ、悪病を払ってやる」と言って消え去ったあと、まもなく悪病が治まった。
その感得の日が「庚申の年」、「庚申の月」、「庚申の日」であったという。それ以来、人々は青面金剛を祀り、疫病をもってくるといわれる三尸の虫を退治して健康に暮らすことを念じて、講をつくり仏様を供養したと、この地で伝えられている』とのこと。
三尸(さんし)とは!?
三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。
60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。引用元:Wikipedia「三尸」
奈良町の伝説では、悪病や災難を持ってくるという三尸の虫は猿が毛づくろいする姿をみて、自分たちを食べる様子に見えたので、恐れをなして逃げたそうです。
そこで、人々はいつも家の軒先に猿を吊るして三尸の虫を退散させ、悪病や災難が近寄らないようにおまじないをするようになったと。
この話が文武天皇の頃。西暦でいうと700年頃。
1000年以上もこの風習が残っているというの歴史好きにはたまらん話です。
この庚申堂にはこれでもかと「身代わり猿」
三尸の虫の弱点
疫病を運んでくるという三尸の虫。猿とコンニャクが大の苦手なんだとか。
そのため毎年3月の第2日曜と11月23日に、「庚申まつり」が行なわれ、参拝者に大根とこんにゃくの田楽がふるまわれています。
この記事を読んで興味がわいた方は是非、奈良町にいらしてみてはいかがでしょう?
奈良町のいたるところで「身代わり猿」が見られますよ!
庚申堂
所在地:奈良県奈良市西新屋町14
HP:http://www.naramachiinfo.jp/places/detail_20.html
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