俺の教育方針は誉めて伸ばすではなく、その存在を受け入れたい

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こんばんわ。まだ父親にはなっていないmasayan(@masayan382)です。

先日、友人宅で友人とその子供を見ていて「子供の教育方針」について思ったことです。

別に俺の考え方や、ものさしが世の中の絶対ではないのでいいんですけど。
この出来事は俺のなかではなかなか大きいものだったので備忘録的に残したく記事にしました。

お時間にゆとりがあるかた、興味のあるかたは是非お付き合いください。

でわ、参りましょう。

子供を誉めて育てる

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冒頭にもあったように友人宅へ遊びに行ったときのことです。玄関に入ると友人と幼稚園生の彼の息子が迎えてくれました。

友人は息子に「友達が来たから、これからお父さんは少しおしゃべりする。しばらく、部屋に行ってなさい。」と伝えました。その後、俺とコーヒーを飲みながら語っていた時のこと。

部屋にいったはずの息子がお父さん、「おもちゃの片付けしといたのー」と言ってきました。すると、友人は「おぉー、おもちゃの片づけしたのか偉いな。よくやった。えらいえらい。」と誉めまくりだったのです。

その後、息子を部屋へ戻したあと、友人にたずねました。

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masayan

いつもああなんか?


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友人

そうだよ、できたらことを誉めて育てるのがうちの方針なんだ。


そんな返事でした。

俺と、妻の間にはまだ子供はいません。
実際、子育てをしている人はこうやって誉めるものなのでしょう。

でも、俺はその様子を見ていて俺は少し「嫌だな」って思ったのです。

子供の目的は何だったのか

さっきの例で考えると。友人の息子はなぜ、部屋に行ってろと言われたのに、わざわざおもちゃを片付けたことを報告しにきたのでしょうか?

おもちゃを片付けたことを父親に誉めてもらいたかった?
おもちゃを片付けた達成感を父親と共有したかったのか?
おもちゃを片付けられるスキルを父親に知らせたかった?

他にも理由があったんじゃないでしょうか?俺はそう思ったのです。

普段は自分に向けられる父親の愛情?がゲスト(俺)に向けられていたのを自分に戻したかったんじゃないでしょうか?まぁ、実際のところはわからないですが。

もしも、おもちゃを片付けたのは口実だったとしたら…。彼の目的は自分を見てもらうこと。できたことを誉めてもらいたいわけではないと思うんです。

父親としては、日に日に息子ができることが増えればそれは嬉しいことだから誉めたくもなるんでしょうけど、それは息子と父親の間にズレが生じることでもあるのかなぁと俺は勝手に思ったのです。

そもそも、息子はなぜおもちゃを片付けなきゃならないのか理解できているのでしょうか。

散らかってて誰かがつまずいたり、踏んだりして怪我をするとか、埃がたまって不衛生だからとか、おもちゃが踏まれたら壊れるとかそういうデメリットを無くすためって考えてるのでしょうか。

たぶん、まだそのレベルじゃなかったとそのときは思ってしまいました。

なんか知らんけど、おもちゃを片付けたら親は喜んで誉めてくれる。その間は自分を見てくれる。親の愛を感じる手っ取り早い方法がおもちゃの片付けなんじゃないでしょうか。もしくは、片付けないと怒られたりペナルティがあるとか。

俺が危惧するのが、おもちゃを片付けても誉められなくなった時、彼の息子はどうするのでしょう。
きっと違うことをして誉められようとするんじゃないでしょうか。

年齢が上がるたびに、やることは難易度が上がっていく…。
学校にいけば、きっとそれはテストの点数になるんでしょう。

では、努力して合格点に達することができなくて、誉めてもらえなくなったらどうなるんでしょうか。さらなる努力をしてくれるのでしょうか。100%どころか120%がんばってもだめだったら…努力することを放棄するのではないでしょうか。

誉められなければどうやって親の目を引くのでしょう?非行ですよね。
正攻法じゃ親を振り向かせられないから、非行に走って親を振り向かせる。
要因はいろいろあるんでしょうけど、こういう要因からそうなる人もいると思うんです。

大分勝手に妄想してしまいました。なぜかというと、俺は友人の息子を見て、かつての自分が脳裏をよぎってしまったからなのです。

masayanが小学生の頃の話

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うちは母親が夕方まで働いて、帰って来て、ご飯を作ってくれるスタイルでした。父親は帰ってくるのが遅かったですし。なので、母は帰って来て、洗濯物を取り込んで、畳んでから夕飯を作っていました。

ある日、あまりにも暇だったので、洗濯物を取り込んで畳んでみたのです。そしたら、予想を超えるほどの母親の喜びよう、褒め称えようでした。味をしめた俺はそれから洗濯物を取り込むようになります。

ところが、ある日、気がつくとそれが日常となり、それが当たり前になりました。大して誉めなくなった母。俺は今まで通り、褒めてもらいたかったのです。

しかし、それが当たり前となると褒めることはなくなるとは言いませんが大して褒めてもらえなくなりました。

ちらっと畳まれた洗濯物をみて「今日も洗濯物入れてくれたのねありがと。お母さんご飯作るわ。」
俺を見ることなく、サラッと流れる言葉。寂しさを覚えました。

もう意味がない。それに気がつくと俺は洗濯物を取り込まなくなりました。

そうなると母親は烈火のごとく怒るようになりました。もともと、まだ俺には洗濯物を取り込む技術がないと思ってたから期待もしてなかったんでしょうけどね、今や、やればできるとわかってしまったから。

でも、そのときの、俺は怒られても嫌じゃなかったんです。怒られる間もそれは、俺を見てくれているってことだったから。下の兄弟に、母親をらとられることなく、俺を見てくれているという状態がむしろ嬉しかった。

しかも洗濯物を取り込むという作業、労力を払わずに、得られる母親を独占する時間。「洗濯物を取り込むよりもお得だ」そう思ったんです。

今思えば疲れてるであろう母親を労うべきなんですけどね。ほんとあのときは親不孝者でした。

振り返ってみると、これが俺の最初の非行だったんじゃないかな。中学、高校での非行に比べりゃ可愛いもんですかね。

でも、不良の気持ちもわからんでもない。正攻法じゃ親の愛を確かめられないから親に迷惑をかけて、それに、親が反応してくれたら嬉しい。そんな愛情の確認方法なんじゃないかな。

俺の洗濯物の話

話を戻します。俺は誉められるために洗濯物を取り込んだんじゃないんです。

明日着るものがないと困るからでもないんです。

下の兄弟を押し退けて母親を独占するために洗濯物を取り込んだのです。

もっと、言えば母親を独占できればなんでも良かったんです。

うちは両親が共働きだったから。母親も仕事から帰って来て、家事をして、子供をみる。限られた母親との時間、欲しかったんだと思います。

洗濯物を取り込む意味、目的を理解してなかったんです。
あくまでも親の愛を得たくて取った行動が洗濯物の取り込みだったのです。

もしも、母親が誉めてくれなくても、家族のために行動したことに注目してくれていれば洗濯物だけではない行動にも発展したかも…なんて今頃思います。

とにかくその存在を受け入れたい

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俺は自分のそんな苦い思い出から子供にはそうなってほしくないって思っています。

結果も大事で、上手くいくこと、失敗することそれぞれから学ぶことはあるので両方味わって欲しいです。

自分の子供には目的を持って行動できる自立した人間になってほしいなと思います。

目的を達成するために手段を考えられる人間になって欲しい。

そして、俺は特別なことをしたから誉める父親にはなりたくない。じゃないと、俺の子供は特別な何かをしないと誉めてもらえない子供になってしまう。

特別なことをしてもしなくても、常に一定値の愛情を常に注ぎたい。そして、存在してくれてるだけでいいと抱きしめたい。受け入れたい。

五体満足で十分ですよね。手術が必要な子も、入院している子も世の中たくさんいます。自宅で元気に動き回って口からご飯が食べられる。それってすごくありがたいことですよね。

看護師になって、病院という施設で働く大人になって理解できたことです。

おもちゃを片付けても、片付けなくてもいい。おもちゃを片付けると、どんなメリットデメリットがあるのか考えるところからアプローチしたい。

あわよくば、怒る叱るではなく、感想を伝えるかたちをとりたい。
この前記事にもしたIメッセージですね。

あくまでも、子供が主体的に考える形をとりたいです。

ひとつひとつ、意味を理解して、できることが多くなってほしい。
自分で考え、行動して、自分が成長する喜びを知って欲しい。

自分の能力は己の欲を満たすためのものではなく、家族、友人、大切な人のために貢献するためのものであると理解してもらいたい。

そんなことが、考えられるようにアプローチできる親になりたい。

いつか自分が親になれたときに、あのとき俺はこんなことを思ったんだなって読み返すときようにこんな記事を残しておこうと思ったmasayanでした。

単なる決意表明ですね。

なにぶん、机上の空論。もしも先輩パパさんママさんたちからアドバイスがもらえるならいろいろ聞いてみたいものです。

現実はそんな簡単なものではないと重々承知しています。時には烈火のごとく怒ったり、手を挙げざるを得ない時もあるでしょう。

でも、目的や目標がないとダラダラ走るようなものなので、自分の中にこういうものを掲げて育児というものにいつかチャレンジしていきたいなと思っています。

あとがき

↑まで書いて、公開しようと思ったのですが直前でググったら「誉めない子育て」みたいなことで数多くhitしますね。むしろそれが最近のセオリーだったりするのでしょうか。

自分の無知が恐ろしい。そういえばアドラー心理学でもこういうアプローチが推奨されてましたっけね。
もっかい勉強してみようかと思います。

こんな風に自由気ままに生きてきて、いつか父親に自分はなれるのだろうかと考えだすと不安を感じざるを得ない今日この頃。

 
 
 
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  2. …のような記事を予定しております。現在、順調に執筆中!お見逃しなく!!

   
 

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普段は看護師をしております。好きなものは日本史。特に古代史・平安・戦国・幕末が大好物です。都市伝説・フリーメイソンの話も大好きです。
休日は寺社、城、史跡巡りを主にしております。